糖尿病におけるmultimorbidity

糖尿病におけるmultimorbidity

書評

「海図なき」真摯な糖尿病診療への勇気ある挑戦

伊藤 裕(慶應義塾大学医学部腎臓内分泌代謝内科 教授)

 「糖尿病は血管の病気だから,いろいろな病気を“併発”しやすい.だから,糖尿病の診療には,血糖の管理だけではなく,“重積する”高血圧や脂質異常症,そして,三大合併症はもとより大血管障害にも気を配らなくてはいけない.」――言い尽くされた,あまりにも陳腐な糖尿病の教科書的お題目である.糖尿病を,血糖が上昇する病気,尿に糖が出る病気として捉えている以上,糖尿病“合併”症という呪詛からは逃れられない.
 エネルギー代謝は,生命維持の基盤であり,加齢現象,寿命そのものにもかかわる.過去にたまたま「糖尿病」と称された疾患は,まさにエネルギー代謝に障害を来す中心的な病(やまい)であるということに気づけば,本書で示される糖尿病における「multimorbidit:多疾患罹患状態」というメッセージは極めて,すーっと受け止められるはずである.いわゆる合併症も含め,糖尿病にみられるすべての病態の総体が,「糖尿病」そのものである.われわれはそうした「病」に立ち向かわなければならないのだ.
 編者,松岡健平先生は,わたしが敬拝する偉大な医療者の一人である.長年の臨床現場で培われた独特の土地勘ならぬ「病気勘」は,患者さん一人ひとりが患うそれぞれの「糖尿病」の,“におい”までも巧みに嗅ぎ分けることができる.この極めてレベルの高い臨床センスは,絵画に造詣が深い松岡先生がもたれている,生来のバランス構図力,色彩感覚に根づく感性と,研ぎ澄まされた知性によって醸成されたものと拝察する.
 昨今,どのような医者にもできる,最低限の質を担保した最大公約数的な医療の確保を目指し,さまざまな疾患のガイドラインが目白押しに作成されている.もちろん,その意義は大きいが,松岡先生は,糖尿病と真摯に向かい合うには,世に流布するガイドラインの並列適応では無理であることを喝破されている.Multimorbidityを呈する糖尿病に対し,その各病態に罹患する“平均的な”病人に対するガイドラインは,全く歯がたたないことを見抜かれている.
 真摯に糖尿病医療をなそうとする行為は,まさに「海図なき」海を航海するがごときである.本書は,この困難な航海のための羅針盤とならんとしている.
 例えば,患者各人の“事情”を斟酌し,各病態に対する治療の優先順位,時にはある病態には“目をつぶる”(ある程度に医療介入を“留める”)智慧,術が示されている.また,医師と看護師,薬剤師などとの有機的連携の重要性はこれまでにも示されてきたが,本書では,system reviewに基づき得た患者一個人の全情報に関して,その時間経過も含め把握できる電子カルテが提案されている.医療にかかわる多職種の人間を“つなぐ”ための電子カルテの重要性に光が当てられていることは,まさに編者,松岡先生の慧眼である.
 糖尿病医療のご意見番,松岡先生が編まれた本書は,類書とは一味も二味も違ったものとなっている.