ブックタイトル国際保健医療のキャリアナビ
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国際保健医療のキャリアナビ
医学系×JICA 15から歴史や文化の見方を学んできたように思います.そのような中で,音楽家ボブ・ゲルドフたちによるアフリカ難民救済のための「ライヴエイド」 *1 は衝撃的でした.音楽を通して大きな社会問題が解決されていく,という革新的なアイデアは,自分の力を信じれば未来を創造することが可能かもしれない……というインスピレーションを与えてくれました.また臨床実習が始まり多くの末期がん患者と出会ったことから,「自分は患者の死に向き合えるのか」と自問自答する中で,「死の臨床研究会」を立ち上げました.仲間を募り,死生学(タナトロジー)の読書会をしたり,当時まだ数少なかったホスピスを日本各地に訪ね,死を待つ人々へのインタビューを映像に収めて市民祭で上映したりしました.このように,人々との出会いの大切さを基盤に,“アフリカの飢餓”そして,“死への畏れ”が,その後の人生の方向性を決める原体験であったと思っています.●「● 命を助ける仕事」から「命を大切にする社会」の創造へ「早く優れた医師になってアフリカに行きたい」「アフリカに行くのなら,手術もできる医師でないと困るだろう」という思いから,医学部卒業後は,選抜試験を受けて東京・築地の聖路加国際病院の外科レジデントになりました.全国から集まった優秀な若手医師とともに切磋琢磨しながら,「人を病気として診るのではなく,病気をもった人を診る」というまさに“ 全人的医療”(ホリスティックメディスン)を実践することができました.4 年目には最年少のチーフレジデントとして診療チームを取りまとめる機会を得て,若手レジデントの育成や病院マネジメントへの参画など,チーム医療の醍醐味を経験することができました.聖路加国際病院での4 年間は,寝る間もなく過酷で多忙な日々でしたが,人をチームで診る基本を学びながら,その後,アフリカでの戦略マネジメント育成や組織強化において,多くの示唆を得るきっかけとなりました.その後,母校東北大学の恩師の声かけもあって,心臓血管外科教室で心臓移植の研究に携わることになりました.しかし人工心臓装置の動物実験をしながら,アフリカでの診療の夢が遠のきつつあることに焦りを感じる日々が続きました.そんなある日,緊急手術後の患者を看取って街を彷徨していたときに,青年海外協力隊の募集ポスターを偶然目にしました.「君を待っている人がいる」というメッセージがぐっと胸に響き,すぐに近くにあった公衆電話からポスターの番号に電話をかけました.家族や教室など,多くの人から引き留められましたが,協力隊員としてアフリカに渡る決心は固く,1995 年,アフリカのマラウイへ赴任することになりました.国立ゾンバ中央病院はマラウイの首都リロングウェから350km 離れた病床数500 の病院でした.しかし地域住民200 万人の中核病院ということもあり,近隣県からの搬送患者も多く,入院患者は時に1,200 人を超*1 1985 年7 月に,イギリスのロンドン,アメリカのフィラデルフィアで行われたチャリティーコンサート.世界各国に同時中継された.マラウイタンザニアモザンビークジンバブエリロングウェザンビア【マラウイ共和国】人口 1,636万人(2013年)民族 バンツー系言語 チェワ語,英語(以上公用語),各部族語宗教 人口の約75%がキリスト教(そのほかイスラム教,伝統宗教)歴史 1891年,イギリス保護領.1953年,ローデシア・ニヤサランド(現マラウイ)連邦成立.1964年,イギリスより独立.1994 年,独立後初めての大統領・議会選挙(ムルジ政権).青年海外協力隊とは,もっている技術・知識や経験を開発途上国の人々のために生かしたいと望む20 歳から39 歳までの方を派遣するJICA の事業.約200 種類の職種に分類されている.派遣期間は原則2 年間.1965 年の事業発足からこれまでにのべ88ヵ国に約4 万人の方々が参加している.KEYWORD青年海外協力隊