ブックタイトル国際保健医療のキャリアナビ
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国際保健医療のキャリアナビ
看護系×中央省庁 59ンボジアなど,アジアの国々を訪れ,現地の病院や保健施設などを見学しました.その中でも,タイにとても愛着をもち,HIV 感染者のためのホスピスで,ボランティアとしてAIDS を発症した患者たちのケアをさせてもらいました.ある日,私は1 人の女性に出会いました.彼女は家が貧しかったので,家計を支えるために若くして都会へ働きに出て,そこでHIV に感染し,体調を崩して村に戻りました.しかし,偏見や差別のため村には住めなくなって,1 人でホスピスに入院していました.ある夜,彼女の部屋でおしゃべりをしていたとき,彼女は「家に帰りたい.お母さんに会いたい」,そう言って,涙を流しました.彼女は1 人で痛みと孤独に耐えて生きていたのです(写真1).自分と年の違わない女性が苦しむ姿を目にして,やりきれない気持ちに打ちのめされました.こうした経験から,さらに国際保健協力の仕事をしたいと強く考えるようになりました.●●大学院へ進学,そしてインドネシアへ学部生のときに,当時,東京大学大学院国際地域保健学教室の助教授であった中村安秀先生と出会い,大学院で国際保健学を学ぶことに決めました.大学院では,国際保健に関するさまざまなトピック,世界の動向,研究や活動に使える手法などを学ぶと同時に,フィリピン,インドネシア,ルワンダなどの国で,感染症や栄養調査を行う機会に恵まれました(写真2).アメリカのエモリー大学での1ヵ月の疫学研修を受けたり,NGO の活動に参加したりして,積極的に見聞を広げようと学外の活動にも参加しました.大学院時代の活動や勉強が,その後の仕事に大変役に立ったと感じています.大学院修了後,28 歳の春から1 年ほどHANDS という国際協力を実施しているNPO に勤務しました.私にとって,国際保健協力に仕事として関わった初めての職場でした.私の主な仕事は,人材育成のために,国際保健医療協力分野で働いている人を対象としたセミナーやワークショップを実施することでした.講師は主に,アメリカの大規模なNGO であるManagement Sciences forHealth(MSH)のベテランスタッフたちでした.それまで私は,NGO は住民の生活に近い,草の根レベルの活動が得意分野だと思っていましたが,MSH の活動を学ぶにつれ,NGO の現場の活動や実践から得られた経験を,国全体に,そしてほかの国にもスケールアップしていくような活動ができるという可能性を知ることができました.活動を始めた当初,スタッフは事務局長と私の2 人だけでしたので,講師との連絡,会場選び,広報,案内,機材準備,受付,会場設営,資料の準備・配布など,多くのことを経験させてもらいました.これらの経験は,その後海外プロジェクトで働く際に大変役に立ちました.そして,2001 年7 月,29 歳の夏から2 年間,JICA(国際協力事業団) *1の「母と子の健康手帳プロジェクト」に地域保健専門家として従事しま*1 現・独立行政法人国際協力機構.写真1 タイのホスピスにて友達とともに写真2 インドネシアで行った子どもの栄養状態の調査保健医療の仕組みづくりと人づくりを通じて,世界の人々が自らの健康を守ることができる社会を実現するために行動することをミッションとし,① 保健医療システムの開発と実践,② 人材の育成,③ アドボカシー(政策提言)を3 つの柱とした活動を行っているNPO.KEYWORDHANDS(Health andDevelopment Service)episodeホスピスはお坊さんがHIV 感染者を助けるために始めた施設で,当時100 人近いHIV 感染者とAIDS 患者が入院しており,20人ほどが重症のため病棟に入院していました.私は毎日,重症の患者たちの清拭,洗髪,食事介助,オムツ交換などのケアを行いました.ホスピスでは,入所者たちと同じ生活をし,地元の食事や冷たい貯め水での水浴び,お祈りなど,日本とは違う生活環境と文化で暮らす経験をしたことで,異文化を受容する適応力と海外で生活する自信がついたように思われます.タイのホスピスで