ブックタイトル生きると向き合うわたしたちの自殺対策
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生きると向き合うわたしたちの自殺対策
114私の体験 双極性障害を抱える私は,2010年秋,辛いとか助けてほしいという気持ちもなく,昼夜寝たきり状態で,ただただ,この世から消えることしか頭になくなり自殺を図ったが,縊死には至らず今も生きている. その1年前には,錯乱状態で入院した日に食堂で無意識に首を吊る真似ごとをして拘束されたり,「殺してくれ」と叫んで,子どもがすべての包丁を隠して家の外に逃げ出したりした. また,私は自死遺族でもある.母が脳外科手術後,「両目とも見えないみたいなの」とメモを残し,退院翌日,父が仕事に出てまもなく首を吊ったのは,私が24歳のときだ.あったかもしれない自殺のサインに誰も気づけなかった.お見舞いしても気持ちを明かさなかったのは抑うつ状態だったからなのか,今ではもうわからない.その1年後に私は母の死や仕事でのストレスからうつ病と診断され,自分のことで精一杯になった. 突然妻を失くした父は,毎日仏壇に手を合わせていた.私が入社早々自宅療養した2年弱の間,父は「自殺」という言葉を口にしたことがなかった.私が膀胱腫瘍で入院して看護師から母の死因を尋ねられたときは「縊死」と小声で答えた.出家までした父は,精神疾患や自殺に対する偏見,またそれゆえの孤立感を宗教で乗り越えたのかもしれない. 姉は看護師だったので,私の初発時にはすぐ精神科に連れていってくれたし,母を最初に発見したときも父や私への連絡など気丈に対応してくれたが,その胸中は察するにあまりある. 母の自殺も私の未遂も,家族に長くさまざまなダメージを与えてきた.独身寮の布団のなかで泣いた日もある.10代前半で,精神疾患をもつ父親が自殺未遂した子どもたちの心の傷はいつ癒えるのだろうか.Scene8:当事者と家族18 消えない記憶に思うこと