ブックタイトル生きると向き合うわたしたちの自殺対策

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概要

生きると向き合うわたしたちの自殺対策

117 2012年11月24日,寒い夜だった.さみしがりやで怖がりな息子なのに,狭い車のなかで,ひとり,28歳の生涯を閉じたのだった. 第一発見者は,私. どんなに名前を呼んでも,返事をしてくれない. 氷のように冷たくなっている体を揺すっても,もう2度と起きてはくれなかった.ずっと,ずっと,抱きしめていたかった. 「寒かったでしょう.ごめんね,ごめんね……最後まで,気持ちをわかってあげられなかった……かあちゃんを,許して……」 息子は双極性障害,アルコール依存症という病気によって,希死念慮に翻弄されていた. 2009年から2012年の4年間,5回の自殺未遂で入退院を繰り返し, 「この胸のモヤモヤはなんだろう.4ヵ月に1回仕事ができなくなるんだよね」と訴えていた.後にこの症状は双極性障害の急速交代型(ラピッド・サイクラー)という症状だったことを知る. 5回目の退院の後,息子は 「死が近づいている感じがする.苦しくも悲しくもないよ.無の感情」といっていた. 私は一人暮らしの息子のもとへ夕食をつくりに行っていた.そして,双極性障害の当事者の会との出会いがあり,そこで息子のなかで起きている症状の理解ができた. 当事者の会の縁から,病院を紹介してもらったが,治療には結びつかず,別の病院を探してもらって,問い合わせても,3ヵ月待ちとのことだった. 「3ヵ月も待ってられないんです.いつ死んでしまうかわからないのです」と訴えても,受診できなかった.この頃,息子の感情の波は1日おきに,変わっていた. 「どうか息子を,助けてください」 必死で病院,保健所,ダルク,断酒会,警察,消防署,いのちの電話,市役所に電話をかけていた.治療もできないまま,真っ暗なトンネルに入るようで,出口がみ19 自死で子どもを失った家族からscene8:当事者と家族